最近、自分自身と他者との「境界線」について考える機会がありました。
私は昔から、周囲の人の感情や、その場の空気を敏感に感じ取るところがあります。
誰かが不機嫌だと、何となく落ち着かない。
相手が怒っていると、どうすれば穏やかになってもらえるだろうと考える。
相手が気持ちよく過ごせるように、自然と自分が動いてしまう。
そんなことが当たり前でした。
振り返ってみると、過去の仕事柄、長年の接客業で身につけた習慣でもあったように思います。
理不尽な要求をされることがあっても、どうすればお客様に納得していただけるか。
どうすれば怒りを鎮めてもらえるか。
その場を穏やかに収めるために、いつも考えていました。
それは当時の私にとって、自分自身を守るために必要な能力だったのだと思います。
けれど、その習慣は仕事以外の場面でも、無意識に続いていたのかもしれません。
相手が不機嫌なのは、私が何とかしなければならないこと。
そんなふうに、どこかで思い込んでいたような気がします。
でも、本当にそうでしょうか。
人にはそれぞれの感情があります。
嬉しいことも、悲しいことも、腹が立つこともある。
感情を持つことは、とても自然で大切なことです。
けれど、
相手の感情を尊重することと、相手の感情に責任を持つことは違います。
誰かが不機嫌だからといって、必ずしも自分が何とかする必要はない。
相手が怒っているからといって、その怒りを自分が引き受ける必要もない。
もちろん、自分に非があれば謝ることは大切です。
けれど、相手の感情をすべて自分の責任にしてしまう必要はないのです。
最近、そんな当たり前のことに、ようやく気づき始めました。
これまでの私は、周囲に適応することがとても得意だったのだと思います。
けれど、その一方で、自分自身が何を感じているのか、何を望んでいるのかを後回しにしてきたのかもしれません。
相手を大切にすること。
自分を大切にすること。
この二つは、どちらかを犠牲にしなければ成り立たないものではありません。
自分と他者の間に適切な境界線を持つことで、どちらも大切にできる。
境界線を持つことは、冷たくなることではありません。
相手を拒絶することでもありません。
自分の感情は自分のもの。
相手の感情は相手のもの。
それぞれを尊重することなのだと思います。
そして、もうひとつ。
誰からも嫌われないように生きることは、きっとできません。
どれだけ相手に合わせても、すべての人に好かれるわけではないのです。
だったら、自分の心を置き去りにしてまで、誰かの期待に応え続けなくてもいい。
最近の私にとって、これはとても大きな学びです。
形而上学では「汝自身を知れ」という言葉を大切にしています。
自分自身を知ること。
自分の感情を知ること。
そして、自分と他者の違いを知ること。
それもまた、自分を知る道の大切な一歩なのだと感じています。
人に優しくあることと、自分を犠牲にすることは違う。
これからは、相手の感情を尊重しながら、自分自身の心も同じくらい大切にしていきたいと思います。

自分自身を知り、自分らしく生きること。その学びの入り口が、アデプトプログラム®です。https://www.enchantment.jp/adept




























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